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糾励根物語

糾励根の開発者の生い立ちから開発、販売についてご紹介いたします。

○開発者の生い立ち
糾励根は大正時代に開発されました。開発者である霜鳥信明は明治25年に新潟県の農村に三男として生まれました。家業は農業でしたが、祖父の富八郎が皇漢医家として病で悩む人から頼りとされる一方、青少年を集め寺子屋を開いたり、村の総代を務めるなど近隣地域の人々に慕われていました。信明も祖父の仕事を見たり、医学書を読み、薬の調合などを見るなど祖父に接していることもあり、これらの経験が後の糾励根の開発へと繋がっていったようです。

青年になった信明は上京し、様々な職を経験し自ら商売も行うなど、東京では薬と縁の無い生活を過ごしておりました。そのような生活の最中、関東大地震が発生し東京は甚大な被害に遭いました。中には満足な医療を受けられず亡くなられる方も見受けられました。この時信明は祖父の治療により全快した患者の喜ぶ顔を思い出し、祖父の遺産を継ぎ病や怪我に苦しむ人々を救うことを決心したのです。


○糾励根の開発
薬の知識はありましたが、すぐには商品化せず、世にある様々な治療法を研究し、薬の開発に役立てることにしました。鍼灸の資格を得て鍼灸院に務めて経験を積み、その他にも指圧治療、オゾン療法、レントゲン療法など多種多様な治療法を実践、研究しました。しかし、開発には資金や場所が必要であり東京で続けることが難しく、信明は樺太に渡り研究開発をするのでした。極寒の地で丸太小屋を作り、幼い子を育てながら生活をし薬の研究をしました。生活の糧として材木の伐採や薪売りをし、研究開発費を捻出しました。そういう厳しい生活の中で糾励根は生まれました。 
 大正13年 樺太で糾励根開発中 糾励根開発中の霜鳥信明(中央左に乳児を抱えている人物)

大正時代末期 樺太にて
○糾励根の名の由来 
商品パッケージには「励」の字を旧字で記載されており、「キウレイコン」、「きうれいこん」とカナの記載がされておりますが、読み方は「きゅうれいこん」、「キュウレイコン」で構いません。
変わった名前ですので、「糾励」という植物の「根」と勘違いされることもありますが、開発者である霜鳥信明の様々な想いや意味が込められております。信明は具体的な意味を誰にも知らせておらず、その意味を考えることにより病を治すという意味や環境を整えることになればという願いもあったようです。「糾」という字は「合わせる」「集める」などの意味があり、「励」は「励ます」「はげむ」「つとめる」という意味で、「精励」「勉励」「励行」などの語に使われます。「根」は「根気」「六根清浄」などの意味があります。一説では「六根を清浄にて、人の世の家業に励み、他と糾合協力する」という意味や、「家族が協力して気持ちと力を合(糾)わせ、病人を励まし、病の根を取り去る」という意味ではないかと言われております。いずれにしても、本人の哲学的観念、心情などから名づけられたもので一つの意味ではないようです。

○10万人無料施薬の旅
大正末期に発売された「糾励根」ですが、当時は西洋の文化、科学が尊重され、生薬(薬用植物)を使用し、水で練る古めかしいシップ薬はなかなか認められませんでした。しかし、「人喜ばせ、我喜ぶ。」という心情と、糾励根の効果に対する信念から、信明は昭和元年より無料施薬の全国行脚を行いました。無料ということで不信感を持つ方もおりましたが、何をしても治らない方などは藁にもすがる思いで糾励根を貼り、「良くなった。」、「治った。」、「助かった。」という感謝の言葉を沢山いただき、信明は無料施薬への意欲をより高めるのでした。

元々資金など無いため、無料施薬の旅は厳しいものでしたが、皆様の喜ぶ姿が忘れられず、生活を切り詰め、病を持つ人のために全国を渡り歩き、5年をかけて悲願であった十万人に施薬を行いました。こうして少しづつ全国に糾励根の理解者が広まっていきました。


無料施薬の旅はその後も続き、施薬の旅から帰ると各地から注文が集まり、その薬代が次の施薬の旅費になるという繰り返しが何年も続きました。その旅は 日本全国はもとより樺太や満州(旧地名)、台湾にも及びました。

 糾励根施薬の旅 昭和5年 旧満州 大連にて 昭和5年
 満州(旧地名)にて

 昭和7年
朝鮮半島 施薬の旅にて
 糾励根施薬の旅 昭和7年 朝鮮半島にて

 糾励根施薬の旅 昭和12年台中にて 昭和12年
台湾にて

糾励根の施薬の旅により全国に使用者が増えましたが、水で練って使う風変わりなシップ薬は実際に使ってみなければ理解されにくいことに変わりありません。「使って貰えれば必ず効果を実感していただける。」という思いと、病気や怪我が良くなり、喜ぶお客様の笑顔が見られるという理由で、信明は東京の糾励根本舗や各地の販売店で糾励根の施薬を晩年まで続けました。信明にとってお客様の喜ぶ顔を見るのが一番の幸せであったのでしょう。

昭和16年 健康報告祭
東京 池袋にて
 昭和16年 健康報告祭り

 創立35年記念大会 創立35周年 記念大会

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